蜂兵衛館

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【第3回】養蜂業という仕事

  • 養蜂業という仕事

    西澤養蜂場のマスコット、ハニーちゃんと記念撮影。これからも西澤養蜂場をよろしくお願いします!

  • 養蜂業という仕事

    春と秋に高岡本店で開催される「はちみつまつり」には、毎回多くの人々がやって来る。はちみつ搾りの体験コーナーや、はちみつのテイスティングコーナーが人気。

まがいものではない本物のはちみつを作り続けることは、たいへんな作業です。沖縄、宮崎、青森、北海道と旅を続けながら、花の蜜を集め続けなければなりません。しかし、そうやっておいしいはちみつが採れたときの喜びは、何ものにも変え難いものです。「ミツバチの秘密、はちみつの魅力」の最終回では、養蜂業の苦労と喜びについて、皆さんにお伝えしたいと思います。

養蜂の一年

  • 養蜂業という仕事

    高岡本店に掲げられている看板。「花を求めて沖縄~北海道」の文字が見える。

  • 西澤養蜂場では、全国4カ所に養蜂のための土地を確保しています。採蜜の作業は、本州から北海道では半年間、沖縄ではほぼ8カ月にわたって続けられます。
    まず、4月くらいに沖縄での蜜採りの作業がスタートします。このころに採れるのは、シロツメセンダンソウなどの花の蜜です。沖縄では、この後12月くらいまで採蜜ができます。
    沖縄で養蜂を始めたのは、まだ沖縄がアメリカ領だったころでした。たくさんの巣箱をトラックに載せて船から下りると、地元の人たちに囲まれて「ハブを取りに来たのか」と聞かれたものです。現在では地元の養蜂農家もいらっしゃいますが、当時は誰も養蜂のことなど知らなかったのです。
    さて、沖縄に続いて、本拠地である宮崎でレンゲ草やミカンの花の採蜜が始まります。その後、青森に行って、リンゴ、アカシヤ、マロニエの採蜜を行い、6月末くらいからは北海道のアザミやシコロの花の蜜を採ります。8月になるとソバの花からも蜜が採れるようになります。そうして10月ごろに、沖縄を除く養蜂場での採蜜の作業が終わります。
    前にもご説明したように、花の種類によってはちみつの香りや味はまったく異なります。拠点を何カ所も持つことによって、いろいろな花の蜜が採れますし、花の開花時期に合わせて移動することで、1年間を有効に使うことができるのです。

宮崎から青森へ

  • 養蜂業という仕事
  • 宮崎から青森に移動するときは、大型トラックを3台使います。合計500個の巣箱をトラックに分載して運ぶのです。ミツバチは熱に弱くて、暑いと巣ごと全滅してしまいます。トラックが止まるとクーラーも止まってしまいますから、3人のドライバーで交代しながら、30時間以上ほぼノンストップで走り続けます。食事中も止まりません。止まるのはトイレのときだけです。
    北海道では、あえて「熊出没注意」という看板が出ているようなところに巣箱を並べます。そういう山の中には、いい花があり、いい蜜が採れるのです。それに、ミツバチは糞をしますから、住宅地に近いところだと、近所の方々にご迷惑をかけることがあります。
    これまで、人間が熊に襲われたことはありませんが、巣箱が熊にやられたことは何度もあります。なんといっても、熊ははちみつが大好きですから。
    こうやって全国を移動して歩くのは、並たいていの苦労ではありませんが、いいはちみつを作るためには、欠かすことのできない作業です。しかし、すべての養蜂家ができるというようなものでもありません。私たちは、これだけの苦労を重ねているからこそ、品質のいいはちみつを皆さんに食べていただけるのだと、自負しています。

養蜂の苦労と喜び

  • 養蜂業という仕事
  • 私が養蜂業を始めてもう40年以上になりますが、何より辛かったのは、1年の半分を家族と離ればなれで過ごさなければならなかったことです。はちみつの品質を保つためには、責任者である私自身が沖縄へ行き、青森へ行き、北海道へ行き、そうして巣箱のコンディションをチェックしなければなりません。その間、妻や子供たちの顔を見ることができないのです。
    幸い現在では、地方行脚に妻も同行してくれて、食事などの世話をしてくれるようになりました。沖縄と青森にそれぞれ2人の現地スタッフもいて、私と一緒に働いてくれます。

たくさんのミツバチをつれて、旅をしながら蜜を集める生活を、ロマンチックだと言う人もいます。しかし実際の生活は、想像以上にたいへんなものです。ひとつひとつの巣箱を管理しながら、花の開花時期に遅れないようにして全国を移動して回らなければならないのですから。
私が養蜂家になろうと思ったのは17歳のころ、昭和30年代でした。祖父も父も養蜂家でした。兄弟は8人いて、そのうち男は4人でしたが、全員家業にたずさわっていました。ですから、養蜂に関わるのはごく自然のことだったのです。私は字を書いたり難しいことを言ったりするのは苦手でしたが、力とやる気は人一倍ありました。父は私を「機関車」と呼んだものです。
最初のころは、近所の人に「蜂屋さん」と呼ばれるのが恥ずかしくて仕方がありませんでした。顔中を蜂に刺されて、本当の顔がわからなくなったりもしました。大水で巣箱を全部流されたこともありました。そのときはさすがに、「もう養蜂をやめよう」と兄弟で話し合ったものです。
それでも、家業を継いだことを後悔したことは一度もありません。子供の頃から蜂に囲まれて生きてきた私ですから、蜂とともに生きるのが当然だったのです。やがて、長兄が西澤養蜂場の三代目となり、末弟であった私が四代目を継ぐことになりました。
現在は、1年間健康で仕事ができることと、いいはちみつが収穫できることが何より大きな喜びです。

養蜂家にとって大切なこと

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画家や陶芸家は、「自分の作品の中で一番気に入っているものは何ですか」と聞かれれば、「まだない」と答えるといいます。養蜂家にも同じようなところがあります。私は、自分の養蜂のやり方には、よくなる余地がまだまだあると思っています。やらなければならないこともたくさんあると思っています。
養蜂業は、蜜源、つまり花がないとやっていけません。現在の全国の養蜂場は、すべて私自身が開拓したものですが、花は年々減ってきています。蜜源を長期にわたって確保するためには、自然環境を守っていくことが必要です。
花はその土地のものですし、その花が生み出す蜜も土地のものです。私たちは、その土地のものをいただいているわけです。ですから、土地の自然を守るのはもちろん、何らかの形で、自然に恩返しをしなければならないと思っています。
また環境だけではなく、人間関係も養蜂にとって大切な要素のひとつです。私たちが青森や沖縄に行くと、「お帰りなさい」と言って迎えてくださる人がいます。それは親戚づきあいのようなもので、野菜を分けてくれたりもするのです。そのお返しに、私たちはその土地で採れたはちみつをお渡しするようにしています。そういう人と人との結びつきもまた、いいはちみつを作るためには必要なことなのです。

これからの養蜂業 これからの西澤養蜂場

養蜂農家には、ほかの農業や林業などと同じように、常に後継者の問題があります。幸い西澤養蜂場では、私の息子があとを継いで五代目になることが決まっています。真面目で熱心な男ですが、養蜂家としての腕はまだまだですから、これからどんどん経験を積んでいかなければなりません。
養蜂業には近代化ということがあまりありません。やっていることはとても単純で、ミツバチが自然の花から採ってきた蜜を集めることに尽きます。しかし、ほとんどの作業は人の手でやらなければならなりません。遠くの土地への移動も疲れます。そういった部分は、簡略化するわけにいかないのです。
養蜂業は地味ですが、とてもたいへんな仕事です。3K、つまり「きつい、汚い、苦しい」に、さらに「痛い」というのが加わります。何しろ、蜂は刺しますから。
しかし、養蜂の歴史は何としてでも守っていかなければなりません。そして、まやかしではない、本当のはちみつをお客様に届けていかなければなりません。
前にも言いましたように、ミツバチは益虫であり、人間の生活に必要なパートナーです。ミツバチと共生しながら、いいはちみつを作っていくこと。それが私のこれまでの人生であり、その生活はおそらく死ぬまで続くことと思います。
私は、人生に必要なモラルをすべてミツバチから習ってきたように思います。働くことの尊さ、勤勉さ、仲間の大切さ──。そういうことを息子たちや従業員に伝えながら、生涯一養蜂家として生き、皆さんにおいしいはちみつをお届けできること。それが私のただひとつの願いなのです。

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